瞑想 方法 入門 ◆(究極の瞑想)◆ 悟り 解脱 Meditation Ultimate

六つの性格タイプ

六つの性格タイプ
 なぜ、40もの種類があるかというと、人によって趣味も違うし、性格も違います。その「違い」というのは過去世から来ていることです。それについて仏陀は、人間にしても、デーヴァ(天人)にしても「6つの性格」があると仰っています。

 まず第1の性格は「欲のタイプ」です。このタイプの人は、いつも「欲しい、欲しい」と想います。たとえば兄弟に、お母さんがそれぞれ1個ずつのビスケットを分け与えたとしても、1つでは満足できずに3つ欲しがって、「もっと欲しい、もっと欲しい」と思っているような人です。欲によって動いているタイプの人です。これは人間にしても神々にしても動物にしても持っている、本来的な性格です。

  第2は「怒りのタイプ」です。嫌いなものがあったりすると「これは嫌だ、嫌だ」と怒りをもってしまう。そういうタイプの人たちです。どうですか皆さん、怒りを持っていますか?
それは自然のことです。

3番目は「無知のタイプ」です。
4番目は「信のタイプ」の人です。
5番目は「思考のタイプ」で、あれこれと思いをめぐらす人です。
最後の6番目は「智慧のタイプ」の人です。

 仏陀だけが他人の過去世を観ることができるわけで、私にも、皆さんがどんな過去世を持ていて、どういう性格が主要であるかを見分けることはできません。2~3日見ていて、「この人はこういうタイプだ」と、分かってきます。

 頻繁に眠気が起こったり、心があちらこちらへと彷徨い出てしまう人は「欲のタイプ」の人に多くみられます。次に、瞑想してて怒りが出てくる人は、欲よりも怒りの方が強い「怒りのタイプ」の人です。
 三番目の「無知のタイプ」の人は、いつも眠い人です。瞑想していても「眠い、眠い・・」となってしまいます。よく寝ていないとか、疲れ等があって眠いという場合もあるでしょうが、瞑想を2~3回やった後で眠気が出たら、それに従うのでなく、振り払うようにしなくてはなりません。「この少ない日にちで良い集中を得るには眠りなどで時間を無駄にしている暇はない」と智慧と精進によって自らを奮い立たせるようにします。

4番目の信の強いタイプの人は、瞑想をしていると、ダーナ(布施)をしたことや、ずっと戒律を守ってきたことなどの善い思いが訪れてきます。
5番目の思考のタイプの人は、いろいろなことを考えてみたり、予定を立ててみたり、あるいはいろいろなストーリーを創ってみたり・・・ということをしています。
最後の「智慧のタイプ」の人はいつも注意深く呼吸を観ていて、智慧によって瞑想の対象に焦点を当てている人たちです。

40の瞑想法
 40種類の瞑想がありますが、今、挙げた6つのタイプの人たちにどれが当てはまるるでしょうか。まず40のうち10種類の瞑想は「アスバ瞑想」で、死体について瞑想する方法です。最初、亡くなったばかりの死体を見て瞑想するのが第1段階。その瞑想によって深い集中を得ます。それから数日経つごとに、色が変わってきたり、匂いが出てきたり、いろいろな変化が起こりますが、それを観て瞑想するのが第2の段階です。そんな風にして白骨になるまで10段階あります。非常に易しい瞑想法です。死体を見て、瞑想していくと「恐れ」というものがなくなってきて、非常に幸福な感覚が出てきて、初禅に達することができます。

 それから10種類の「カシナ瞑想」というのがあります。カシナというのは円盤のことなのですが、色については四種類ありまして白と黄色と赤と茶色。次の四つは地・水・火・風の四つのカシナがあります。あと2つは、「空間のカシナ」と最後に「光のカシナ」です。全部で10種類あります。10種類の死体の瞑想と、10種類のカシナの瞑想、これで20になりました。

 次に、十種類の対象について心に念じる「10の随念」という瞑想があります。一つ目は仏陀についての随念です。
2番目はダンマについて。
3番目はサンガについて。
4番目は戒律について。戒を守ることによって幸福になることを瞑想していきます。
5番目は布施についての随念です。布施をすることによって起こる幸福感を随念していきます。そうすることによって集中力が良くなっていきます。

6番目はデーヴァ、天の神々についての随念です。
7番目はニッバーナ、涅槃にについての随念です。
8番目はアーナ・パーナ・サティ(出入息の随念)です。
アーナ・パーナ・サティも随念するタイプの瞑想です。
9番目は食べ物を厭う随念(食厭想)です。
最初、食べ物を見たときには「これは美味しそうだ」と食べ物に対する執着があります。食べているときは幸せですが、食べた後で、体の中に入った食物について観想します。胃の中に心を集中します。実際に見ることは出来ないので、イメージを使います。食べ物が消化され、吐いたりする中身が胃の中にあるのををイメージで観るわけです。食べ物の不浄を観察することにより、食べ物に対する執着をなくす訓練になります。
10番目は死に関する随念で、いつか自分も死ななくてはならないということを観ていきます。 これでさっきの20と足して、30種類の瞑想になりました。

 他の4つは無色界の瞑想です。あと4つは、四梵住(慈・悲・喜・捨の瞑想)もう一つは四界分別観といって地・水・火・風に関する瞑想です。もう一つは三十二の体の部分に関する瞑想(三十二身分観想)です。全部で40の瞑想法になります。

タイプごとの瞑想法
 それでお釈迦さまはどんな風にそれを選んだのでしょうか。欲のタイプの人には10種類の死体に関する瞑想と、「三十二の体の部分に関する瞑想」、合計11の瞑想法がふさわしいでしょう。欲のタイプの人たちは自分に対する執着・欲望や、他人(家族等)に対する執着・欲望を持っていますから、死体の瞑想をすることによって「いずれ自分も死んでこういう死体になってしまうのだ」という瞑想法が適している訳です。

 家族とか自分自身を愛してる、執着している人たちはたとえば死体をみて、死体がどんどん変化して、崩れていく様子をみて、それでも執着を持つでしょうか。ですから将来自分の体にどんなことが起こるかという真実を見るのはそのような理由からです。

 「三十二の体の部分に関する瞑想」ですが、私たちは「体」が綺麗なものだと思っています。ところが体の中身、内臓、三十二の器官などを観た場合、それを美しいと思えるでしょうか?
ですから体に対する強い執着を持っている人は、すべての器官に集中することによって真実を知ることが出来ます。

 欲のタイプの人でアーナパーナサティをやっていても、心がどこかへ飛んでいってしまって、上手くいかないという人たちは「三十二の体の部分を見つめる瞑想」をやって、執着を離れ、それからまたアーナパーナに戻ってくるのが良い、と仏陀は仰っています。

 次は怒りのタイプの人で、瞑想してていつも怒りが出てきたり、どうも満足できない、不満足であるという感覚が出てくる人です。仏陀は4つの色のついたカシナ(円盤)の瞑想が良いだろうと仰っています。それと慈・悲・喜・捨の四つの瞑想です。4つの慈悲喜捨の瞑想というのは、たとえば慈しみの瞑想とか、悲(苦しみに対する共感)の瞑想をやっている時に怒りは出てこないでしょう。怒りをコントロールできるわけです。

 怒りのタイプの人で、他人に対して怒りを持っている人は慈悲の瞑想がやりづらいでしょう。怒りを持っている相手に対する瞑想を一番最初にやってもなかなか慈悲というものは出てこないので、怒りを持っていない人に対しての慈悲から始めるのが良いでしょう。

 欲のタイプの人には10の死体に関する瞑想と、三十二の体の部分に関する瞑想、合計11の瞑想法。怒りのタイプの人に対しては8つ(慈・悲・喜・捨と四つの色のカシナ)の瞑想が良いでしょう。
そして無知のタイプと、思考のタイプの人に対してはアーナパーナ・サティが良いでしょう。
 信のタイプの人には6種類の瞑想法が良いだろうと仰っています。三宝(仏陀、ダンマ、サンガ)に対する随念と、ダーナ(布施)、シーラ(戒)、デーヴァ(天人)への随念。この6つの瞑想法が「信」を持った人と思考タイプにひとに相応しいだろうと仰っています。

 それから智慧のタイプの人です。智慧のタイプの人には4種類の瞑想が向いてると仰っています。まず「四界分別(地・水・火・風)の瞑想」です。それから「涅槃の平安に関する随念」です。次に、ある日私は死ぬことになるだろうという「死への随念」です。智慧のタイプの人はそのように随念することで瞑想が深まっていきます。四番目は食べ物を厭う瞑想です。

共通する瞑想法
6つの性格タイプの人に関して30種類の相応しい瞑想を選びました。それで残りの10種類の瞑想は、誰にでも向いているものです。色のカシナについては、怒りのタイプの人に4つの色のカシナ瞑想が相応しいと言いましたけれども、そうするとまだ6つのカシナ瞑想が残っています。 残っているのは6つのカシナ瞑想と無色界の瞑想(無色界禅)が4つで10になります。

今やっているアーナパーナサティは第四禅定までの瞑想ですが、さらにその上に第五、第六、第七、第八禅定という4つの無色界の瞑想があります。初禅から第四禅定の対象というのは物質界のものですが、その上になってしまうと物質界ではなくて意識の中のもの(空間とか意識そのもの)が対象となる禅定です。
ですから自分自身をよく観察して、どのような性格を持っているか、どんな思いが起こっているかなどを良く観て、40の瞑想でどれが一番相応しいかを選んでみることが大事です。

 もし波羅蜜(過去から積んできた徳)があり、相応しい瞑想法を選べば、禅定に達することが出来ます。うまくいかなかった時に、性格に合った瞑想をやるようにして、心のバランスがとれて、落ち着いて平和になってきたら、またアーナパーナサティへ戻るようにすると良いでしょう。

 今、説明したように瞑想をやってみるのは良いのですが、5分くらいやって、次から次へと頻繁に代えるのは良くありません。10分くらいやってみて、心が落ち着いてバランスがとれてきたら、またアーナパーナに戻ると良いでしょう。

 呼吸に集中して、思考が出てくる時はそれを止めて呼吸に戻ってきますが、それがとても難しい場合、非常に思考が強い場合には、さっき言った自分のタイプの瞑想を選んでしてみると良いでしょう。
 初心者にとっては精進(努力)というのはとても大事ですから、とにかく努力するようにして下さい。 呼吸を観るのが退屈だなんて想わないようにしてください。
みなさんに慈悲の心を送ります。


人の性格と瞑想法

性格と瞑想法

 今日はですね、仏陀の教えの基本的なことをお話ししたいと思います。仏陀とダンマ・法ですね、それとサンガですね。この三つが基本です。仏陀は聖なる人で、ダンマ(法)というものを教えてくれた方です。それで瞑想とかダンマを教える初めに、仏陀に対して礼拝し尊敬の心を表します。次は、二番目はダンマですね、仏陀の教えてくれたダンマについてですけど、今、私たちは、瞑想ということで、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想という、二つの瞑想があります。

 それからサンガですね、これは仲間というような元々の意味なのですけれども、お坊さんたちの集まりですね、仏陀の教えてくれた教えを伝えて、過去から今に、ずっと伝えてくださっている、そういうサンガがある。それで仏陀とダンマとサンガ、この三つが基本になっています。

 それで今日はダンマについて、中心に話していきたいと思います。ダンマの中に、サマタ瞑想それからヴィパッサナー瞑想というのがあって、サマタ瞑想はその中にさらに40の瞑想法があるというふうに仏陀は教えてくださっています。

 その40の瞑想法があるということについて、それは、いろいろな人によって性格が違うので、ブッダはその人その人によって、適した瞑想法というものを選んで、それで教えていたということです。
 それで、いろいろな性格の人がいて、例えば、ブッダの時代にお坊さんとか尼さんとか、一般の人たちが集まって聞いていたときに、頭をぼりぼり掻いたりする人がいた。あるいは空を眺めて、そこに絵を描いてみたり、というようなことをする人がいた。また他の人は、ダンマ・トークをしているときに、居眠りをしていた。全然集中ができなかった。また別の人は、非常に熱心に聴いていて、瞑想などもしっかりやっていた。まあ、いろいろな人がいたということです。

 最初にあちこち身体を掻いていた人は、おそらく過去世おいて、お猿さんだった。(笑)
それから、空を眺めていろいろなことを描いていた人は、おそらく前世でインドの占星術師だった。星の運行なんかを見て、それで未来を予言したりする、そういうことをやっていた人で、それで空を見てなんかかんかやっていた。それから、居眠りをしていた人というのは、過去世は蛇をやっていた。あるいは龍ですね。いつも寝てばかりいた。(笑)

 それで非常に熱心にダンマ・トークを聴いて、瞑想していたという人は、やっぱり、その過去世ではお坊さんをやっていたという人でしょう。ですから、その人の性格とか、いろいろな振る舞いというのは、その前の過去世という、そこからのつながりで出て来ているということです。それで自分の中にその四つのタイプのどれを見るでしょうか。

 人によって、いろいろな性格があるのですけれども、それは過去のカルマ、過去に為したいろいろな行いが、現在に結果として現れているということです。原因と結果がそういうふうになって、現在に現れているということです。それで過去において良い行いをした人は良い結果が得られるし、悪い行いをした人は、現在に悪い結果が返ってくる。それで私たちはそのカルマの法則について、それを信じていないと、不善な思いを越えていくのが難しくなります。

六つの性格と40の瞑想法
 人によっていろいろな性格があるのですけども、大きく分けて六つの性格があります。今言っていたそういう性格というのは、普通の状態のもう一つ深いところにあるので、何かの拍子に、例えば非常に強い怒りが出てきたとか、というようなことで、もう一つ非常に深いところにあるものがそういう性格として出てきます。

 その性格を分類してみます。最初は貪欲(ローバ)ですね、それから次が怒り (ドーサ) 、三つ目が無知(モーハ)、要するに貪瞋痴ですね。この三つがまず出てきました。
 あとの三つですけれども、最初は信(サッダー)ですね、信じるということ、それから 思考(ヴィタッカ)、智慧(パンニャー)ですね。この三つとさっきの貪瞋痴とを合わせて6つの性格があります。

 それで人によってその六つのうち、どれかにあたるので、仏陀がそれをよく見て、この人にはこういう瞑想法が良いだろう、ということを当てはめていました。六つの大きな分類で、大体、一つとか二つぐらいが、いろいろミックスされた形であって、主要にはどれが強いかということで、貪欲のタイプだとか、怒りのタイプだとかというように、一番強いのはどこに表れるかということで、分類していました。

 それで、貪欲のタイプの人と、信を持っている人というのは、同じではないですけれども、割と近いところにいる性格です。それから二番目の怒りですね、このタイプと、智慧ですね、このタイプとは割と近いところにいます。最後の、無知のタイプと思考タイプの人とは、割と近いところにいる。ちょうど裏と表みたいな感じになるということですね。

最初の貪欲タイプの人は、ゆっくり、優雅に歩く。素敵な話をする。甘いものやおいしいものが好きであり、香りの良いものが好きである。それは貪欲のタイプの人の話でした。このタイプの人たちというのは、執着が非常に強いタイプです。それから信の強い人たちは、仏陀のお話を聴いたり、仏陀に対する尊敬とか、瞑想をしたり、あるいはお布施をしたりするのが非常に好きです。

 それから2番目の怒りのタイプの人たちというのは、非常にせかせかと急いで歩いたりする。この人たちは、味については、非常に辛いものとか、酸っぱいもの、苦いものとか、非常に極端なものが好きである。で、この怒りのタイプの人は、嫉妬をしたり、非常に心をコントロールするのが難しくて、ガーッと怒って、それからケンカになったりとかというタイプです。
 また、そのちょうど反対側にあるのが智慧のタイプの人です。この人たちは、怒りのタイプと条件的にはつながっています。智慧のタイプの人というのは、いろいろな現象がこれに合うだろうかと智慧で見て、話すときにも注意深く、何事にも気付きをしっかり持っている人です。

 それから三番目の無知と思考のグループの人たちですけれども、この人たちは、自分でなかなか決定することができないので、どうも流されて、流れにまかせて気楽に生きるという、そんなふうなタイプの人たちです。で、この無知のタイプの人は、いつも頭がぼんやりしていて、眠気がして、迷妄のなかにいます。

 それで貪欲系の人たちには、10の不浄観、不浄なものをずっと瞑想するのと、それプラス、三十二身分の瞑想、三十二の身体部分についてのいろいろな瞑想、これをやると良いというふうに仰いました。
 目とか鼻とか耳とか、そういうところへいろいろな情報が入ってきて、そこで接触が起こったときに、感覚、感情、が発生するのですけども、そこのところで、執着というか、渇愛・欲望が起こります。そういう、貪欲とかが起こったときには、10の不浄観の瞑想をすると、執着というものから離れることができるわけです。

 次の怒りのタイプの人には、まず四つの瞑想法があります。「慈・悲・喜・捨」の四つの瞑想法が良いでしょう。他に四つの瞑想があって、つまり合計で八つあるのですけど、カシーナと呼ばれる丸い円盤を観る瞑想です。その瞑想は、四色あって、白、黄色、赤、茶色です。
 怒り型の人には、これら八つの瞑想法があります。怒りの気持ちが湧いてくるときは、六つの門、眼・耳・鼻・舌・身・意からいろいろな情報が入ってきます。怒りの気持ちが湧いてきたときは八つの瞑想をして、心に慈悲の波動を送ってあげます。

 色の円盤による瞑想法ですが、怒りの強い人達には白い円盤を作って、空の雲みたいな瞑想をして、だんだん雲が広がっていくように心の中に広げていきます。この円盤を使っていく瞑想をしているとだんだん心が落ち着いていきます。この瞑想はたいへん簡単ですので、怒りのタイプの人はこれで心を切り替えることができます。その対象を変えていく必要があります。怒りばかりを出していると、怒りが続くから対象を変えていくことです。

 無知と思考タイプの人には、アーナパーナサティがいいでしょう。信のタイプの人には、仏陀・法(ダンマ)・僧(サンガ)への随念がいいでしょう。お布施や寛容性の瞑想、それから戒の瞑想、デーヴァ(天界の神々)への瞑想がいいでしょう。信を持っている人達は、瞑想をすると深くそういうところに入っていけるのです。今の瞑想の説明は、智慧のタイプに対応した人に向いているのですが、胃の中の食べ物だとか、嫌悪するような汚い食べ物を、観るような瞑想をしましょう。だんだん、そういうものを観ていると慣れていきます。普通の人たちはきれいなものをみて楽しんでいるわけですが、この瞑想で仏陀は、不浄なものを観ていきなさいとおっしゃいました。

 それから貪欲タイプの人向きの瞑想の一つですが、体を見る、骸骨を観る。これは普通の人から見ると、とても怖ろしげなというか、いやなものなのですけど、それを観ていくと、第一の禅定に至ることができます。
 その胃の中を観る瞑想や涅槃の瞑想があります。ある段階の悟りに達すると、例えば、預流者だとか一来者のように悟った人は、それほど難しくなく涅槃の瞑想ができるのですが、一般の人だと涅槃と言われてもあまりピンとこないし難しいので、涅槃の平安をイメージすれば良いと思います。預流者の段階になれば、それほど時間をかけることなく涅槃の瞑想を実現することができます。イマジネーションをします。

 もう一つは、四界分別観です。もう一つは、死に対する瞑想法です。智慧のタイプの人には、胃の中をみる瞑想と、涅槃の瞑想、四界分別観と、30のタイプの瞑想法をお話ししました。

 30の瞑想法を覚えていますか。これらの瞑想法は重要です。40までの瞑想でまだ30までしか話していないので、まだまだですが、あとの10個というのは全ての人にあてはまる瞑想法なのです。さきほど、4つのカシーナについてお話ししました。今度のカシーナを使った瞑想は、円盤を使った瞑想で、地・水・火・風の4つの瞑想ですね。後の6つも同じカシーナ(円盤)を使用した瞑想なのですが、地、水、火、風、虚空、光明の6つです。後の4つが「慈・悲・喜・捨」の瞑想です。色界の禅定の上にさらに無色界の禅定があります。4つ無色界の禅定と、6つのカシーナの、つまり地・水・火・風、虚空、光と、あわせて10の瞑想があります。さきほどの30の瞑想法と今の10を合計して、合計で40の瞑想法があります。これは大変重要なことなので、アーナパーナサティでうまくいかなければ、他の瞑想法をやってみれば良いでしょう。

 アーナパーナサティをしてもうまくいかなければ、波羅蜜のせいにしないでください。他の瞑想法もありますから。1年間くらいアーナパーナサティをしていてうまくいかなくても、心配をしないで、不浄観や死体をみる瞑想法もあります。それで預流者になることができます。みんな必ずどこかのタイプに入っていますから。

 仏陀の時代であれば、あなたは何に向いているのかすぐに分かったと思いますが、今は仏陀がいらっしゃいませんので、これが向いているのではないかというアドバイスくらいはしたいと思います。自分でチェックをしてみて、怒りが強いタイプか、あるいはすぐに寝てしまうタイプか、タイプにあった瞑想法をしてみましょう。例えば、怒りの強いタイプの人には、「慈悲の瞑想」が良いと思います。

 いままで、大まかな分け方をしましたが、あまり度々瞑想法を変えることはしないで下さい。5分おきに瞑想を変える、例えばアーナパーナサティをした後に、不浄観をしたり、ころころ変えるのは、あまりよろしくありません。2日とか3日とかしてみて、うまくいかなかったら変えてみても良いです。それぞれの瞑想をするときにそれぞれの瞑想についてしっかり知っておくことが必要になってきます。しっかり押さえてからでないと難しいということになります。


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